プロフィール

結城おさむ

『自分を表現し、個人が開放できる居場所を自らのチカラで創りあげる』

1987年、富山県生まれ。WEBマーケッター・集客コンサルタント・ボイパマン

2016年に4年間勤めた北陸の企業を脱サラし、フリーランスに転身。
副業時代に月間PV90万のサイトを構築し、そこで培ったWeb集客術を活かしてコンサルタントとして活動中。

現在はオンラインサロン『B-Writers Project』を運営しており、PC1台で場所に縛られないワークスタイルを実現するための情報を発信し、仲間とともに成長しています。

【簡単なコンサル実績】

  • コンサル受注3ヶ月目に月間PV190万のサイト構築(月収69万円)
  • ブログ開設後3記事目に1日5,000PVのアクセス集中ノウハウ
  • サイトM&Aで月収100万円…etc

 

社会の後ろ盾のない個人が、人間関係に悩まされず、自分を開放できる居場所創りができるような情報を公式ブログOPEN AREAにて発信しています。

引っ込み思案だった幼少期。

ここからはボクの自己紹介をさせてください。

こんなシゴトをしていると、あまり信じてもらえないのですが、ボクは幼少期から人とコミュニケーションを取るのが苦手な人間でした。

小学校までは友だちも少なく、冷蔵庫の貼り付けてある磁石で遊ぶか、1日中ドラクエをしながら過ごすのが何よりも楽しみな子供だったみたいです。(両親いわく)

学校の休み時間も、みんなが外で元気に遊ぶ中、ひとり教室に残り、教科書に落書きをしていました。

「ただただ大人しい子ども」であれば、それはそれで問題なかったのかもしれませんが、頭が良くないのに負けん気だけは強く、20点くらいの答案用紙を友だちに馬鹿にされたときは取っ組み合いのケンカをしたこともあります。

3人兄弟の末っ子で、頭のいい兄や姉に囲まれて過ごしてきた分、コンプレックスも強くていつしか家や学校で自分をどうやって表現して生きていけばいいのか分からずに悩み苦しんでいました。

当然、そんなヤツが充実した生活を送れるわけもなく、周りの人間はボクから離れていき、ボクには居心地の良い居場所というモノはなかったのです。

『このままではマズい。』

っと思ったのか、ボクは中学校への進学をキッカケに少しずつではありますが、周囲の人間に合わせるように生きることを選択しました。

どんなに気に入らないことがあってもグッとこらえて笑顔で接していったり、学級委員とか掃除当番とかみんなが嫌がるような係は自らやるようにはしていきました。

『とりあえず勉強だけはできないといけない…!』と必死で思い、親に頼み込んで塾に通ったり、進研ゼミを受けたりなど、人並みのスペックや会話ができるように努力を重ねる日々を続けます。

そうやって他人に合わせて生きてさえいれば、誰からも嫌わないし(嫌われる実感がないという意味)、波風立たずに生きることができ、どこか虚しさを感じつつも、その「もっともらしい生き方」は社会を生きやすいライフスタイルだと思っていたんです。

 

他人に合わせて生きていけば、そこそこ人生はうまくいく。

『自分らしく生きろ』という言葉もあるが、肝心な「自分らしさ」が社会的に生きづらければ、一度くらい『もっともらしい生き方』をしてみるといい。

それが幼少期のボクのサバイバル戦略だった。

 

『音楽』との出会いが、ボクを変えた。

真面目で、先生の言うことを聞いて、決して自分を出さない生徒。

漫画とかに出演したらモブキャラっぽい自分ではありましたが、自分を表現して傷ついてしまうよりはマシな人生だったと思います。

しかし、そんな自分を変えてくれたのは「音楽」でした。
大学に入り、音楽のサークルに所属していたのですが、それをキッカケにボイスパーカッションを始めました。

自分という存在を殺すことで生きていく日常とは違い、『音楽』は自分の中にある引き出しをいかに放出するかで、その表現力が問われるフィールドです。

ステージ上で演奏しているときは自分自身を「音」という形に変えて表現しないといけないし、曲の”うま味”を観客に分かりやすく伝えるスキルが必要でした。

それだけではなく、ライブは眼の前にいるお客さんとのコミュニケーションです。
いつもの日常では味わえないワクワクした『空間』を提供するために、何ヶ月も練習し続けた演出に磨きをかけ、その場の雰囲気を感じとって、時にはアドリブをいれていかないといけません。

まさにライブはLiveとも書くように「生き物」であり、いかに表現力を磨いて、その場の臨場感を感じながらベストな選択を取っていく正解のない世界でした。

もちろん最初から上手くできたわけではありませんが、スキルを磨くことによって「また、おさむの演奏を聴きたい」っと言ってくれる人も増えていき、ボクは自分を表現していく世界にどっぷりと没頭していきました。

また、大学生のときにたまたまアップロードした動画が、一気に2万回まで再生数が伸び、高評価の割合は90%を超えたこともあります。

そうやって努力を重ねてスキルを磨いていき、仲間に認められれば、プライベートも充実していきました。

気兼ねなく「音楽」の話をしながらお酒を飲み明かしたり、ライブでは共に心を躍動させる仲間がいたからこそ楽しい毎日を過ごすことができたと思います。

スキルを磨き、表現力を上げていくことで、サークルという1つのコミュニティの中で、ボクは主人公なった気持ちになり、自分を開放させる居場所を得ることができた。

『ボクでも自分を開放して生きていいんだ』
「ボクはここにいてもいい人間なんだ』

自分のスキルが認められ、誰かに喜んでもらえたり、共鳴する仲間がいることが人生の喜びだと感じました。

引っ込み思案で、人生に虚しさしかなかったボクでしたが、大学を卒業するころには昔の自分がウソだったかのように、前向いて人生を生きていけるようにもなっていました。

 

自分を表現してもいいフィールドが存在する。

スキルを磨き、なにかに没頭すれば共鳴する仲間と出会い、自分を開放できる居場所が生まれる。

ボクは音楽というツールを使って、自分を開放する居場所がある心地よさを知った。

 

「給料泥棒」と言われた男

大学を卒業する頃ボクの中では、にわかに『音楽を仕事にしたい』という思いはありました。

自分の人生や思考を変えてくれた、「音楽」という道でプロになってみたいという小さな願望はあったのです。

しかし、そこらへんに関しては自分でも驚くほどに冷めていて、



「土日休みじゃないと、何となく嫌だな。」
「安定していないだろうし、プロになる必要なくね?」
「自分にそこまでの才能はないない。」


『音楽で食べていく』なんて現実的じゃない。
うん、ってかそれはないない。

っと自分の中で、選択肢として排除をしたんですよね。

そして、人並みに合わせて就職活動も終わり、地元のインフラ企業に務めることもでき、『もう昔の自分じゃないんだ』っと自信を持って大学を卒業しました。

しかし、ここからの4年間は人生で1番の暗黒期を向かえてしまします。

なぜなら、自分で言うのも何ですが、ボクはあまりにもサラリーマンとして使えない人間だったんです…。

仕事のミスは多いくせに、気が小さい性格で、上司への報告を『明日にしよう、明日にしよう…』と先延ばしにしていたら、会社に大きな損失を出してしまい、取引先を廻って、尊敬する上司に何度も頭を下げさせてしまいました。

また、中学生レベルの計算ミスをして、取引先に『またですかぁぁっ!?』と呆れ顔で見られ続けたり、同僚や後輩が国家資格をバンバン取得していく中、ボクはそういった類の試験はバンバン落ちまくりました。

上司や先輩・同僚の足を引っ張りながら、お金をもらい続ける。
会社では空気のような存在のまま、お金をもらい続ける。

もはや「給料泥棒」みたいな状態になっていました(実際に言われてもいました)。

よく職場の上司からは『使えない社員は楽でいいよな、大した働きもできないのに、良い給料がもらえてよ!』っと皮肉を言われてきましたが・・・

ボクは一度も、自分の状況を『楽だ』なんて思うことはできなかった。

だって、せっかくお金という対価をもらいながら仕事をするのであれば、自分の価値を認めてもらいたいし、自分のことを必要だっと言ってほしい。

自分がやってしまったミスを、上司に謝ってもらうんじゃなくて、自分自身で責任をとれるような仕事がしたい。(なにより謝ってもらうのが、気まずすぎ…)

『一人の社員として、会社に貢献できるようになりたい』

会社という組織に、自分の居場所を創るためにボクは3年間は懸命に頑張っていきました。

 

誰の役にも立てていないのに、お金をもらうことほど窮屈な気持ちはない。

預金通帳の残高が増えるたびに、みじめな気持ちになるのはこりごりだ。

 

自分に、全てに、絶望した入社3年目の夏。

『自分の居場所を作りたい』
そんな想いを持ちながら、ボクはサラリーマン生活を3年以上続けました。

朝は誰よりも早く出社し、お昼休みは売店で買ったパンをむさぼり仕事に明け暮れました。

「給料はいらないから、もう少しだけ残らせてほしい」とサービス残業でプライベートな時間はなくなりましたが、人より仕事ができない分は努力量でカバーしようとしていました。

たとえ『社畜』と呼ばれようとも、不器用なボクにできることは真面目に、そして一生懸命やるしかないじゃん。

ボクは『この会社に骨を埋める』という覚悟を決めて、仕事に明け暮れました。

そして、3年目の夏。
結局そこには、入社時と何も変わらないゆとり社員のボクがいました。

ボクが徹夜をして作ったプレゼン資料より、優秀な同僚がサラッと作った資料のほうが評価を受けることが多かったし、上司へ報告する内容はボクがやらかした阿呆なミスばかり。

『3年もやって、これかよ。』

っと怒る気力を失い、深い溜息をハァァ~っとつく上司と顔を合わせるたび、胸の中を冷たく鋭利なものでグリグリとえぐられる気持ちになっていました。

『仕事は思考停止でやるものじゃない。』
『時間を使うのではなく、頭を使え。』
『お前は仕事を頑張っていない。頑張っているふりをしているだけだ。』

何度言われたかも忘れるくらいに、アドバイスと説教が無限ループを繰り返し。

仕事はできないけど”愛されキャラ”な先輩からは、

『そんな肩に力いれんなよ。仕事なんてテキトーにすればいいんだよ。』

と言われてきましたが、コミュ力の高い彼らのように、世渡り上手になることもできない自分に苦悩しました。

そして、そんな日々が続き、
ついにボクのカラダにも変化が芽生えてきました。

・・・眠れないんですよ。

正確にいうと、夜中に何度も何度も起きてしまうんです。

ビクッと急に目を覚まし、眠たい目をこすりながら時計の針を見ると…

『ん、、まだ2時(深夜)か。』

と再び目を閉じて、意識がなくなったと思ったら、

ビクッ・・・!

『はぁ、まだ3時(深夜)か。』

こんなことを繰り返していき、まるでボクのカラダが朝を迎えることを拒否しているのではないか?と思ってしまうくらいに、まともに眠れないカラダになってしまいました。

お医者さんに聞くと、自律神経がぶっ壊れるとそういう症状になる可能性はあるっという風に言われましたが、病名は不明。

当時、付き合っていた恋人からも、

『最近、目のくまがヒドいけど大丈夫・・・?』

と頻繁に言われるようになりましたが、その優しさが逆に辛かった。

たった3年間、サラリーマンをやっただけの男が語れることではないと思いますが、自分の居場所のない場所でモガキ続けることがこんなにも辛いことなのかっと、ボクは自分のおかれた状況を悲観し、自分自身に絶望をしました。

周りの同僚や大学の同級生は、文句を言いつつも立派に働いている中、ボクは文句こそは言わないが、立派には働けなかった。

真面目だけど、不器用で、頭の悪い自分に絶望をしてしまったし、これからもそうやって生きていくしかないんだと自分の運命を悟りました。

『俺の人生って、こんなもんなんだな。』

3年間、頑張ってはみたけど、これ以上はもう頑張れないし、頑張りたくない。

おとなしく死なない程度に生きていければ、それでいいと思っていました。

 

1つの組織(コミュニティ)の中で自分の役割すら果たせないと、居場所はなくなっていく。

人間の価値は機能面だけではないが、世渡り上手になれないなら自分の機能を証明しないといけない。

あの頃は良かった、で終わりたくないと本気で思った。

自分の人生なんてこんなもん。

そんな悟りを開いたかのような状態になっていたボクでしたが、思えば「安定企業」に入社できて調子に乗っていたけど、元々自分ってこんなもんだったなぁっと思うフシはありました。

昔から誰よりもコミュニケーションが苦手で、頭だって良くなかったし、「自分の居場所がない」なんて考えてみれば、いつもそうだったじゃないか。

小学校時代に自分の居場所がない社会に絶望し、思春期は人形のように感情を殺すことで生きてきたけど心を通わせる友人なんていなかった。

大学時代は、たまたまボイパっていうモノに没頭することができて、いい波に乗ることができたけど、ちょっと褒められたくらいで調子に乗っていたのが間違いだったんだ。

『この程度のラインが、本来の俺だよ。』

っと中二病みたいになっている自分を受け入れよう、受け入れようと必死でした。

でも、どんなに自分を納得させようと思っても、

『あの頃は良かったな。』

って思ってしまうんですよ。

自分のスキルを磨くことで、誰かに感動してもらう喜びを「もう味わうことができないのかな」っと思いながら、自分がこれから30歳、40歳になることを想像すると吐き気がしました。

誰かに迷惑をかけながらお金をだけをもらってる自分が嫌いだし、ボクってこの場所に本当にいたいのかな?っと真剣に考えるようになりました。

こんな自分の居場所がないところでモガキ続けるのが、ボクの人生なのかな。

そう思ったときに、

「このままじゃ嫌だ」

っと思ったんですよね。

やっぱりボクは、大学時代みたいに自分を表現できる場所がほしい。

気兼ねなく語り合える仲間と、自分を必要だと思ってくれる人に価値を提供していきたい。

そんでもって、田舎でくすぶっているだけじゃなくて、普通にお金も稼いで、かわいい彼女と結婚もして、いいところに住んで、音楽だって好きなときに好きなだけできるような生活がしたい・・・!!

こんな煩悩だらけの盛りのついてる自分が、「自分の人生こんなモンだ」なんて諦めちゃう今の自分って・・・

すっごいダサいんじゃないかっと思ってしまったんですよね。

だから、自分の居場所を取り戻すためにも、”ここじゃないどこか”へいくことを決意し、今の会社を辞めたいっと決意を固めました。

 

人生を悟る(さとる)前に、煩悩のままに盛る(さかる)のがいい。

もう自分にウソをつくことは辞めにした。

 

個人が勝ちやすいフィールドを選ぶ。

会社に縛られないシゴトがしたい。
そうやって考えたときに「名もなき個人」が勝ちやすいフィールドである「ブログアフィリエイト」という手段に目をつけました。

ボクがビジネスに挑戦しようと思った頃、世の中では『好きなことを仕事にしよう!』という流れがあり、ボクもなにか好きなことを自分のシゴトにしたいと思いました。

しかし、よく考えたらボクのスキルって「素人に毛が生えたくらいのボイパ」くらいで、ぶっちゃけこんなモノが仕事になるとは思えなかったし、他のことにはあまり興味ない冷めた人間でした。

おしゃれなカフェをオープンしたり、海の見えるログハウスでオーナーをするっていうのも憧れはありましたが、そんなことで成功できるほど世の中甘くない。

「好きなことを仕事にする」という響きは耳当たりは良いのですが、「そこまで好きなことがない人間はどうしたらいいの?」っと思ってしまうし・・・

「好きなことがなければ自由にすらなってはいけないのか?」

っとボクはこの流れに反発したかった。

別に好きなことじゃなくていい。

それよりも今の窮屈な場所から抜け出して、まずは自分を解放させてあげられるように、現金に生々しく「お金を稼ぎやすいフィールド」で勝負すべきだと思い、ボクはブログの世界の扉を叩きました。

ただ、一世代前だと「アフィリエイト」っと聞くと、『楽して労力を使わずにお金を稼ぐための方法』と言われていましたが、現実はそうではありませんでした。


 

  • 検索エンジンで自分のサイトを上位表示させるSEO対策
  • インターネットを使ったウェブ集客の基礎
  • 商品の成約率を上げるためのコピーライティング
  • サイトデザインのブランディング
  • 世の中のトレンドを掴む感覚
  • 時代に左右されないマーティング能力

 


完全に初心者だったボクには、頭が痛くなるようなスキルの集合体だったのです。

しかし、確かなスキルに紐付いた報酬であるからこそ、それを習得する価値はあると思ったし、今の時代「自分のブログやサイトを作って集客ができる」だけでも自分に損はないと確信していました。

そうやって決意を決めてからは副業ベースで、日中は仕事をやりながらも、会社から帰ってきたらスーツを脱ぎ捨て、食い入るようにPCの作業に没頭していく日々が続きます。

途中まで独学でやっていましたが、ご縁もありメンターとの出会いや仲間との出会いを経て、何とか月々20万円程度の収入を1つのブログから得ることができ、独立を果たすことができました。

そして、自分のビジネスを持つようになって気づいたのが、検索エンジンやSNSを使ってウェブ集客ができるスキルは万能であるということ。

コンサルタントして「自分」を仕事にする際も、莫大な広告費をかけることなくお客さんに自分の存在を認知してもらうことができます。

インターネットでの集客に困っている企業や個人は多く、その裏側に入るアドバイザーとしても大きな需要を感じているし、売上に貢献ができて感謝される幸福度の高いお仕事だと思います。

マーケッターとして自分の売上を最大化し、そのスキルをコンサルタントして還元する。

始めたての頃は月に1,000円稼げるかどうかの雑記ブログをカタカタと書き続けたスキルが、今では年収1,000万円は割ることなく、自由度の高いフリーランスとして働いています。

そして、好きな人とだけお付き合いをし、好きな場所で仕事をし、好きなことに没頭できるライフスタイルを実現しました。

これもすべて、『個人が勝ちやすいフィールド』でビジネスに打ち込んできたおかげです。

まぁブログを書いたり、サイトを構築していくのも、最初は頭をかきむしりたくなるほど苦手ではありましたが、今では自分を表現するツールだと思えるし、好きなことの1つですね!

 

好きなことなんてしなくても自由になっていい。

本気でやれば好きになることだってある。

だったら、勝ちやすいフィールドで戦おう。

 

現在の活動と仲間との出会い。

2017年12月からボクは、社会的な後ろ盾のない個人がボーダレスな働き方を実現することをテーマとした『B-Writers Project』というコミュニティを運営しています。

このコミュニティでは、定期的に開催しているセミナーや懇親会で集まったりなど、起業家を育ている居場所としてボクの知識や思考をマンツーマンでコンサルティングをしています。

また、こうやってボクがビジネスをしていく上で、たくさんの仲間と出会いました。

みんな背景は違えど、自らのチカラで人生の舵をとり、共に切磋琢磨してきた仲間たちです。

彼らの前ではボクは『在りたい自分』のまま、ノーストレスな時間を共有することができます。

昔みたいに感情を殺すことなくコミュニケーションをとることができ、スキルを磨きコミュニティに貢献もできているからこそ、今では「自分の居場所はここだ!」と思える場所を創ることができました。

こうした仲間たちとの出会いは、お金では変えることのできない体験であり、本当に個人で働くという選択をして良かったと思えます。

 

スキル、コミュニケーション、仲間(コミュニティ)。

この3つさえあれば、人生は絶対に開放感の溢れたモノになる。

 

OPEN AREAを目指そう

ここまでボクの自己紹介を読んでいただきありがとうございます。

ボクは個人でビジネスをすることを通して、自分を開放できる居場所があることこそが人生の生きる意味だと考えています。

人はいつでも変わらぬ自分ではなく、

『このコミュニティにいる自分が好きだ』
『この人と一緒にいる自分が好きだ』
『これをやっている自分が好きだ』

っといった居場所によって、自分のセルフイメージが変わる瞬間があるはずです。

その居場所とは、心を許せるような仲間と一緒にいたり、自分の能力が最高に活かされる場でパフォーマンスができる場所であったり、人によって価値観は十人十色だと思います。

しかし、その逆もあると思います。

『このグループにいる自分が嫌い』
『この人と一緒にいる自分が嫌い』
『これをやっている自分が嫌い』

カードの裏表と一緒で、人はみんな多重な人格を持っていて、その場・その時・その人によっていろんな顔を見せることがあります。

どんな人でも『居場所次第』では能力が活かせず、ありたい自分のまま居続けることができないと思うんですよね。

そして、ボクは自分を開放できる居場所のことをOPEN AREA(開放区)と呼んでいます。

人生のクオリティは、いかにOPEN AREAを自分のチカラで創ることができるかで決まります。

ボクは過去の自分のように『自分を開放できる居場所』をなくしてしまった人に、開放的な人生を実現してもらうことを使命としてシゴトをしています。

しかし、ボクがやれることは『開放的な居場所を提供する』ことではありません。

ボクのシゴトは、なんの変哲もない一般人や、社会的な後ろ盾が存在しない個人でも『自分を開放する居場所(OPEN AREA)を自ら創るスキルを育てる』ことです。

OPEN AREAに必要な要素は3つ。

時代を生き抜くためのマネタイズのスキルを磨き、そのスキルを発揮できるコミュニティを創り、人と人が良好な関係になれるコミュニケーション力を身につける必要があります。

この3つの要素は、どれも過去のボクが持っていなかったモノであり、すべてを手に入れたことで人生が好転し始めました。


  • スキルを手に入れ(マネタイズ)
  • 仲間と出会い(コミュニティ)
  • 良好な関係を築き(コミュニケーション)
  • 自分が最高のパフォーマンスができる居場所を創ること。(OPEN AREA)

この3つの要素を手に入れ、開放的な人生を実現しましょう。

ボクはそんな願いを少しでも多くの人に叶えてもらうことをシゴトにしたいという思いを込めて、この公式ブログ『OPEN AREA』を起源に、さまざまな情報を発信していきたいと思います。

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