コンセプト

株式会社OPEN AREA代表:結城おさむ

小さな起業で、自分の居場所を切り開く。

自分の居場所は、ちいさな起業で開拓しよう

自分の居場所は、ちいさな起業で切り開く

目次

僕にはいつも居場所がなかった。

幼い頃から居場所が欲しかった。

富山県で両親は薬剤師、優秀な兄と姉がいていつも僕はコンプレックスに悩まされていた。

勉強ができないこと
スポーツができないこと

要は、誰に必要とされたかった自分がいたんです。

自分が活躍できる居場所が欲しかった。(ここはまだ未完成)

会社で居場所を作ろうと必死だった

僕は大学院を卒業して地元のインフラ会社に就職をしました。

手前味噌ではありますが、就職ランキングでは毎年上位に入るような「結婚したい男性No1の職業」と言っても過言ではないくらい、安定・安心を絵に書いたような企業です。

しかし、昔から気が弱く引っ込み思案だった僕にとって、そこは過酷な職場となりました。

新入社員のときに「仕事の鬼」で色黒・強面(こわもて)で有名な人が直属の上司となり、社会の厳しさを教わります。

・毎日、事務所で立たされながら怒られる
・「昼間の働きぶりを見てから、残業代を申請しなさい」と言われ月40〜60時間のサービス残業
・ミスの報告をするのが怖くて放置していたら、会社に100万円以上の損失を出してしまう

次第に上司と顔を合わせる度に、頭が真っ白になっていき、そのオロオロした態度が上司の気分を逆なでをしていく日々。

だんだん仕事を任させられなくなり「できないヤツ」のレッテルを貼られ、僕は職場での居場所をなくしていました。

そして、会社に行くのが怖くなり、身体にも変化が訪れます。

僕は夜中に1時間毎に起きてしまう現象に毎日苦しめられたのです。

深夜1時に就寝→深夜2時にガバっと起きる→スマホいじる→寝る→深夜3時半にガバっと起きる→スマホはいじらない→寝る→朝方5時くらいにガバっと起きる→寝るかどうか迷う→けど、寝る。(ほぼ毎日です)

ひどいときには夜中の3時に起き上がり「やばい…、仕事にいかなきゃ…。」と顔も洗わず制服を着て、外に飛び出したら真っ暗闇の夜だったことが何度かあります。

人間、極限までいくと朝も夜も区別がつかなくなると実感した出来事でした。

少なくとも僕は「起きる=会社にいかなきゃ…!」という反射が3年間の会社員生活で染みつき、眠ることに恐怖を感じるようになっていきました。

(明日が来なきゃ、どんなに幸せだろう)

こんなことを毎日ボンヤリ考えるようになっていたんですね。

自分のコミュニティ(会社)で居場所を失うことは、精神的に死んでいるのと同じ気分なんだ。

自分の居場所を失うことへのネガティブさが止まりませんでした。

仕事ができない自分にイライラして、弱音を吐ける相手もおらず、週5日間は寝不足のカラダで仕事に取り組み続けていきました「3年経っても何も変わらないな」と言われるたびに、どんどん「この会社に自分は必要とされていない人間なんだ」と痛感する。

もちろん、僕だけが悩んでいるわけではないと思います。

たった3年間働いただけで一人前だと認められるなんて『理想が高いよ』とも先輩に言われてきましたし、たぶんプライドが高いだけだったのかもしれません。

それでも

このまま40年間以上、この場所にいていいのだろうか?

僕は今の会社に居続けることへ疑問を覚えるようになったのです。

人並みに認められたくて、週末はTSUTAYAの常連に

「そんなに嫌なら転職でも考えてみたら?」

東京で就職した友人とお酒を飲む機会があった時に、サラッと言われた言葉でした。

たしかに1つの会社に縛られるような時代ではありません。

でも、大学院まで卒業させてもらって、頑張って就職した会社を辞めるなんて選択は僕にはありませんでした。

転職をしたところで「ランクが下がる」と思われるのも嫌で、「あいつ会社辞めたらしいよ」と大学の仲間内で噂されることにも抵抗があった。(気にしすぎw)

置かれた場所で咲きなさい

教育熱心な親のもとで育った僕には、「逃げる」という選択をとることが・・・どうもしっくり来なかったんです。

だから、

いっそのこと開き直りました。

「俺、スーパーサラリーマンになるわ」
「出世とか興味なかったけど、今の会社で出世する」

会社員生活に疲れ、睡眠不足で目のくまが消えず、肌もボロボロで、髪型もボサボサでオーラのない男には似合わないセリフでした。

でも、このままで人生終わっていいはずがない。

せめて人並み以上にサラリーマンとして、マシな働きができれば精神的に楽になれると思っていたんです。

この日を境に、

週末はTSUTAYA書店の自己啓発本コーナーに入り浸り、「7つの習慣」「嫌われる勇気」「仕事のミスをなくす本」「仕事が楽しくなる思考」など目に止まった本をむさぼるように読み漁りました。

また、絶対にやりたくなかった国家資格の勉強にも精をだし「どうせ眠れないなら勉強しよう」と、身体にムチを打ち続けることに。

そのおかげか主要な国家資格にも合格したり、仕事で大切なことは頭では理解できるようにもなっていきました。

しかし、不器用な努力の効果はなく、相変わらず仕事ではミスばかりで、さらに自信を失う日々が続きました。

「同期が当たり前にできてることが、自分にはできない…」
「頑張れば頑張るほど、できない自分を痛感するだけ…」

そんな思いが頭をぐるぐると回る毎日は変わらなかったのです。

そんなある日。
重たい足取りでいつものTSUTAYA書店のビジネス書コーナーにフラフラ〜と足を運びました。

そして、

そこで手に取ったのが「金持ち父さん、貧乏父さん」という本です。

(有名な本なのは知ってるけど、読んだことなかったな…)

立ち読みする気力すらなかったので中身を見ずにレジに持っていき、自宅で本を開いたときに僕は衝撃を受けました。

今までの常識がぶっ壊れる。そんな本との出会い。

「金持ち父さん、貧乏父さん」に書いてあったことは新しい発見の連続でした。

簡単に言うと

・会社員で本当のリッチにはなれない
・起業家、投資家になって不当所得を得られる
・自分が働くのではなく、お金に働かせる

こんなかんじの内容の本です。

本を読んだ瞬間「あ、買うべき本を間違えたな」と思いました。

だって、僕はサラリーマンで出世をするために自己啓発本を漁っていたので、投資家・起業家になりたいわけじゃなかった。

1冊2,000円弱の分厚い本を購入してしまったことは、当時サービス残業ばかりやってた僕にはちょっとした痛手だった。

しかし、本来の目的とは違ったが、この本は僕の人生に新たな目標を与えてくれた

起業とか投資なんて考えたことなかったけど、これで成功したらあの場所(会社)にいかなくていいでは・・・?

幼稚な考えと言われるかもしれませんが、当時の僕は心臓からダイレクトに伝わるワクワク感を抑えることができずにいた。

本には「資産1億円を築け」と書いてあったが、別にそこまでお金持ちにならなくいい。

不当所得も捨てがたいけど、まずは今の環境から脱出できればそれでいい。

正直、自分にできるかどうかなんて全く分からなかったけど・・・

・何のために働いてるのか分からなくなるサービス残業
・苦手な上司のもとでビクビク働く毎日
・人事異動でいつどこに住んでるか分からない働き方
・日曜の夜「イッテQ」が終わると絶望する夜
・1時間起きに目が覚めてしまう質の低い睡眠時間
・車で片道2時間かかる単身赴任生活

これらから解放されるなら、僕は何でもする。

今までの働き方の常識がぶっ壊れた瞬間でした。

まずは、ちいさな起業家を目指す。

とは言え、本を読んだからといって起業家・投資家のハードルが下がったわけではありません。

自慢ではないですが「いい大学を出て、いい会社に入る」という人生のレールの上で生きてきた僕にとって、起業するほどのアイデアもないし、資本金なんて持ってはいない。

投資家になるしてもアパート一部屋の不動産を購入するだけでも数百万円もかかるし、借金は避けることはできない。

(いや、どっちにしろ無理ゲーやん…)

と希望の未来に飛び跳ねるように喜んだり、それが手に入らないと気付きドヨ〜ンと落ち込んだり、人生で1番情緒不安定な時期だったと思います。苦笑

・・・ほんの少しでも夢を見た自分が馬鹿だったのか?

と思いながら、「会社員以外の働き方」をネットで検索をしてたときに僕はネットビジネスに出会ったのです。

ネットを使ったビジネスであれば、大きな資金も必要なく、名もなき個人が月20万円ほどの収入を得ることだってできると書いてあり、僕と同じようなサラリーマンをやってた人が今では自由に働いていることを知りました。

しかも月100万円ほどの収入を得ながら、ストレスフリーに働いていると…!

まぁ、明らかに怪しいかんじの人もいましたが、ここまで来て「やらない理由もないだろう」と僕は資本金などが少なく、ローリスクでできる「ちいさな起業」の準備を始めます。

新しい居場所を、ネット上に作るために

まず僕が始めたのは、ブログの収益化でした。

もちろん最初は副業で、平日は朝〜夜まで会社で働きながら社員寮に帰ったら夜ごはんも適当に済ませ、部屋でひとりPCとにらめっこをしながら記事を書く日々。

ブログであれば会社員をしながらでも記事の積み上げが可能でしたし、ノートPC1台あれば社員寮というプライベートがない場所でも目立つことなくビジネスをすることができたのが僕にとっては都合が良かったです。

もちろん理系バリバリで報告書も上司に怒られ続けた僕の文章力は壊滅的でしたし、いち早く会社から抜け出すためにもWEBで見つけた信頼できそうな人にコンサルを依頼。

最初は5時間かけて書いた記事がまったくお金にならなくて腐りそうになりましたが、いつの間にかスキマ時間を使って月3万円→月10万円を稼げるようになり、最終的には1日1記事更新するペースでも月24万円までは稼げるようになりました。

その後は念願だった会社を辞めて「よく考えたらブログのアクセスアップ術使って、他のビジネスもできるんじゃないか?」と思い、コンサル業として開業。

あれから3年ほど経ち、今ではブログを使った集客術・収益化を教える立場となり、会社員時代と比べたら年収は8倍以上になっていました。

それだけはなく、あんなに会社では使い物にならず居場所がなかった僕にも「おさむさんのコンサルを受けたい」と言っていただける方も増えて、リピートをしていただけてるクライアントさんは約3年間以上もお付き合いをさせていただいています。

そして、PC1台でどこでも働くことができるので今は東京に住み、新しい知識や出会いにも投資をしています。

午前はガッツリ働き、午後からは自由時間。

気の合う仲間とだけ仕事をして、1人の時間は渋谷の神南坂のショップをぶらりとしたり、好奇心のおもむくままに新しい知識に自己投資をしたり、自分のお気に入りのカフェでKindleで漫画を読みふける時間もできました。

また、今ではブログの収益化コンサルや、You Tuberを裏側からプロデュース、WEBマーケティングのセミナーで講演、オンラインサロン運営など、さまざまな方面からお仕事をいただき、自分が活躍できるフィールドを広げています。

僕は会社では居場所も、自己肯定感も、健康面も失っていました。

しかし、ブログでちいさな起業をしたことをきっかけに開放的な人生を手に入れることができると実感しています。

ブログを始めたことによって、自分の居場所を作ることができた。

そう言ってしまっても過言ではないでしょう。

そして、これはきっとあなたにも実現が可能な未来ではないかと思っています。

自分の居場所は、ちいさな起業で切り開く。

居場所とは「自分が活躍できる場所」と感じられる場所だと思います。

僕は会社員としてはポンコツでしたが、今の仕事に出会えたことで自分の居場所を作ることができました。

ブロガー、コンサルタント、WEBマーケッター、オンラインサロンのリーダー…etc

1つのスキルを磨いたことをきっかけに自分が活躍できるフィールドを開拓できたと感じています。

だから、自分の居場所を開拓するためには『スキル』が必要です。

少しドライな考え方かもしれませんが、なんのスキルもなしに自分が活躍できることはないですし、僕が生きてきた32年間はまさにそんなかんじでした。

もちろん世の中には「ありのままの自分でいいんだよ」「居場所は求めるモノではなく、そこにあるものだよ」という綺麗事もあるとは思います。

確かにスキルもなく、コミュニケーション能力もなく、自分の受け皿となってくれる場所があれば幸せなことだと思います。

僕の考え方は「スキルの競争に勝たないと居場所を失うのでは?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、現実は「何もない自分」のまま居場所を作ることは難しいと思います。

僕は会社の飲み会ではオチャラケたキャラクターで愛されていた実感はありましたが、仕事では何一つ貢献をすることはできませんでした。

3人兄弟の末っ子で、何も知らず、何一つ会話に入ることができない家族が昔は苦手だったんだと思います。

持たざる者が何も持たないままで、自分らしく生きる場所を見つけることは難しいです。

尾崎豊の曲「僕が僕であるために」には、

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

というフレーズがあります。

厳しいかもしれませんが、僕は高校のときにこの曲に出会って震えました。